新しい日本語講座

師匠は、恐怖に恐れなくなったかもというお言葉を残してくれました。これ、普通に考えると「腹痛が痛い」「馬から落ちて落馬した」と類似する、日本語の使い方としてはちょっと厳しい部類に入ります。

しかし、投稿を趣味にする師匠が、なんの考えもなしにこのような言葉の使い方をするでしょうか?いいえ、そんなことは絶対にありません。そこで、師匠がどういう考えでこの言葉を残したのか、検証してみたいとおもいます。

自分は、師匠が、「恐怖」という言葉を、恐れること。恐れ。 という国語辞典に載っている意味で使っているわけではないと思うのです。もっと深い意味だと思うのです。

ここで、文脈から判断すると、「恐怖」というのは、「芸能事務所の力」と置き換えることができます。そう、師匠は「恐怖」という言葉を名詞的な用法で使っていたのです。

つまり、「事務所の力」を「恐怖」とすることにより、いままでの「事務所の力」の大きさを、「恐怖」と「恐れる」を重ねることにより、それを克服したことへの偉大さを、それぞれ表していたのではないでしょうか。

ただ単に思ったことを文章にしたためるのではなく、どうすれば文章自体のテンポを維持したままで伝えたいことをより効果的に伝えることができるか、そういう高みに師匠は到達しているのだと思います。

そしてその高いところにある師匠の文章を、解読することこそ、師匠の文章で楽しませてもらっている我々の最低限の義務、というものではないでしょうか。ただ「これは日本語としておかしい」と言い、そこで思考を停止してしまっては、いつまで経っても師匠には追いつけないのです。